2009年2月27日

焼き芋復活(タウン情報小林先生記事)

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昨年の記事(2008年12月18日)になりますが、縄手で営業していた三松屋の焼き芋が復活したことをコバシュンがタウン情報で紹介されています。

現在は三松屋の製法を受け継いで「いも畑0263-50-9413」として松本市宮田で営業しています。製法はもちろんですが包みも昔ながらに新聞紙に包んでくれます。
私も食べる機会がありましたが、塩味と芋の甘みのバランスが絶妙です。幸い我が家から近いので今度行ってみようと思います。

場所はこちら

長野県松本市宮田10-1

以下コバシュンの記事を転載します

焼き芋復活のこと
縄手通りにあった、焼き芋の三松屋が閉店して半年。聞き覚えのある主人の声が、電話口に届いた。人と所をかえた、三松屋流の復活という嬉しい報せだった。早速取り寄せた、懐かしい新聞紙包みの中身に変化はなく、店名だけが新しく「いも畑」とあった。
この焼き芋の老舗が、三河の地から松本に移ったのは明治31年。以来4代にわたった製法のもとは京都にあった。薩摩芋を大きく斜めに切り、浅い鉄鍋にごま塩をまき、蒸し焼きにする西京焼きだが、三松屋は、皮をむき塩のみで焼く、独自の工夫をこらしてもいた。
四柱神社東口にあったかつての店が、夏は氷、冬は焼き芋のパターンで名をなしたのは、古きよき時代の、東京下町の風俗に倣ったかららしいが、それも今や昔語りとなった。
そんな薩摩芋も、戦中から戦後にかけては、人々のひもじさとともにあった。桑畑を掘り返し、校庭をも畑とした、おぞましい時代だった。主食代わりの、沖縄とか太白といった白身の芋は、おならとともに忘れ難い。
在来のその種の芋とは違い、今は、農林系の改良種が、一段と旨味を増して市場にある。金時の名は、それらの象徴だろうか。焼き芋の多くは、干葉や茨城産の紅あずまと聞くが、元を正せば江戸は享保の昔、おなじ馴染みの暴れん坊将軍吉宗のお声がかりで、関東一円に芋栽培をすすめた、甘藷先生・青木昆陽の功績に行き着く。
再生した焼き芋との縁は、当分切れそうもない。
(日本山岳会会員・著述家)

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